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「円の支配者」 ・・・ 日本銀行 vs 大蔵省 [仕事]


円の支配者 / リチャード・A・ヴェルナー
1.My Review Rank : ★★★☆☆ + 量的緩和解除の真意
2.Published Data : ¥2100, 382Page,草思社,’01/05
3.Review Point : 日銀は、今月 2006年3月9日 の政策委員会・金融政策決定会合にて、約5年前の2001年3月19日 に導入した 「量的金融緩和政策」 を解除すると決め、即日実行した(政府と衝突しながらも実施).
 翌3月10日の日経新聞でも当然1面から数ページにわたり大きく取り上げられたが、本書を読んでいる人ならば、日銀がまた日本国の舵を大きく切った と感じるだろう. 本書の主張は以下に要約される.

 「日銀は、戦後日本の経済体制では法的に大蔵省に従属的位置付けだったが、大蔵省の強大な法的権力を覆すために、大蔵省へ非難が集中する様に、バブルの創造と崩壊を演出し、その後も15年にもわたり、意図的に経済を回復させなかった(量的金融緩和をしなかった). 景気調整は、金利政策や財政出動よりも、マネー・サプライ(通貨総量)の影響を受ける.」

 現在、この日銀の目的は見事に達成され(詳細はSummary)、日銀が突然実施した約5年間の「量的金融緩和政策」は、民間経営者の意識改革も伴いながら、日本経済回復の目処をつけた.
 それでは、金融政策に強大な権力を持った日銀が今回実行する「量的金融緩和政策」の解除の意図は何か. 素人の私が考えるに、失われた15年で民間企業が大きく変化せざるを得なかった様に、日銀は、今度は公的部門の構造改革(小さな政府化, 官僚全体の無力化)を狙っているのではないか. 現在は、一時的に景気回復しているが、日銀の考える日本国の構造改革に伴い、更に一段の痛みが発生する可能性も覚悟する必要が有る.

4.Summary : バブルの創造・崩壊, 景気の長期低迷に関して、具体的なトピックスを時系列に並べると見事に符号する.
 日銀は、1985年のプラザ合意を受け、内需拡大のため、マネー・サプライを増やした. ジャブジャブの金は株や土地へと流れ込むしかなくバブルが発生した.
 1989年5月に日銀は、金融引き締め政策へ転じ、以降短期間に5回もの公定歩合の引き上げを実施し、引き締めに大きく舵を切った(日経平均は、1989年12月の大納会の引け値で史上最高値38915円).
 1990年4月には、土地取引の「総量規制」が実行され、バブル崩壊へのダメ押しがされた. この1990年代、日銀は「マネーの需要が無いため、マネーを供給する必要はなし」と主張し続けた(このため、銀行は貸し出しを絞り、中小企業が多数倒産したと言える). また、失業率が増加しようとも、自殺者が増加しようとも政策を変えなかった.
 長引く不況により、1997年11月に、三洋証券(3日), 北海道拓殖銀行(17日), 山一證券(24日), 徳陽シティ銀行(26日)が相次いで倒産した.
 これを引き金に橋本内閣にて、金融行政の構造改革が議論され、1998年4月1日に日銀法が改正された. この改正により、金融政策は日銀に委ねられ、金融部門の規制も金融監督庁(日銀出身者が重要なポジションを占める)が行うようになり、日銀は強大な権力を持った.
 日銀のライバルの大蔵省は2001年1月5日に完全消滅し、日銀が全面的に勝利した. その僅か2ケ月後に(景気の本格回復を目指して)上記の「量的金融緩和政策」を実行した.

 本書に対しては、後付けの陰謀論的との批判も有るが、過去を振り返り考えることも必要かと思う. 読み物として面白いし、中央銀行の機能が良く分かる(素人ではついて行けない所も有るが).


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